端午の節句の由来は~五月人形の飾りは?
2015/05/01
端午の節句は、現代では、「こどもの日」としてすっかり定着していますが「こどもの日」って、いつから始まったのか、知ってますか?
「こどもの日」は1948年の5月5日に祝日として制定されものなんです。
書き方は、「子供の日」でも「子どもの日」でもなく「こどもの日」が正式なんですね~
端午の節句は、五節句のひとつです。
五節句とは?
五節句とは、次の5つの日を指します。
■1月7日
【漢名】人日(じんじつ)
【和名】七草の節句
■3月3日
【漢名】上巳(じょうし)
【和名】ひな祭り・桃の節句
■5月5日
【漢名】端午(たんご)
【和名】端午の節句・菖蒲の節句・あやめの節句
■7月7日
【漢名】七夕(しちせき)
【和名】七夕・笹の節句
■9月9日
【漢名】重陽(ちょうよう)
【和名】菊の節句
端午の節句が5月5日となったのは?
端午の「端」は「はじまり」を、「午」はうまの日を指します。
つまり「端午は、この月はじめての午の日」ということです。
本来は、5月に限った呼び名ではありませんでした。
一方で、午の月は、暦上5月に当たりますので、当初は5月のはじめての午の日ということで、端午の節句のお祝いをしていました。
やがて「午」が「5」と同音であること、奇数月と日にちが重なる日を祝う風習などから、5月5日が「端午の節句」となっていきました。
端午の節句の由来
もともと、古代中国では、日菖蒲やヨモギなどの薬草を摘み、摘んだ菖蒲やヨモギを門口に飾ったりする邪気払いの行事がありました。
それが、日本に伝わり宮中では「端午節会」が開催され、さらに日本に存在した田植え前の行事と結びついたため、定着していきました。
それが鎌倉時代ごろから、武士の時代になると、「菖蒲」を「尚武」や「勝負」とかけるようになり、男の子の節句となっていきました。
五月人形の飾り
古来より人形は、子供の厄を引き受けてくれるものとされ、子供の成長と開運を願って飾ります。
「五月人形」は、人形(ひとがた)をした「武者人形」と甲冑を模した「鎧飾り・兜飾り」の2種類があります。
●人形(ひとがた)の五月人形
「武者人形」とも呼ばれます。
●鎧飾り・兜飾り
子供を災いから守れるようにとの願いを込め、戦で武士を守った道具を飾ります。
武将のように勇ましくなってほしいと願い、武将が身につけたアイテムを飾ります。
飾る期間は?
●飾る時期・・・3月20日(春分の日)前後、または10日から20日前、遅くても1週間前には飾りましょう。
●しまう時期・・5月中旬頃の天気の良い乾燥した日に片付けましょう。遅くても5月下旬までには片付けます。
しかし必ずしも、しまわなければならないものではなく、お部屋のインテリアとか、コレクションのかたちで、1年を通して飾ることもできます。
風習や季節の行事として考えると、やはり「出して、しまって」と手間をかけることが、楽しみだったりしますよね〜
鯉のぼりを飾るようになったのは?
中国には、急流な滝を登りきった鯉は竜になるといわれる故事があります。
「登竜門」という言葉もこの故事からきています。
鯉は、清流だけではなく、池や沼などでも生きていける強い生命力があり、立身出世の象徴でした。
江戸時代の町人のあいだで、この鯉を幟(のぼり)にして、飾るようになったのが始まりです。
●飾る時期・・・4月中旬から飾りだします。
●しまう時期・・5月いっぱいぐらいまで、気持ちよく大空を泳がせてください。
やっぱり、5月5日は「こどもの日」だけど、男の子の節句だなと感じますね。